普照院の紹介
[ 私たちの教え ]

なまえ

じ し ゅ う

名称 「 時  宗 」
しゅうそ

しょうじょうだいし いっぺんしょうにん (ちしん)

宗祖

証 誠 大 師   一 遍 上 人 (智 真)

かいしゅう

かまくらじだい

開宗

鎌  倉  時  代  (1274年)

ほんざん

 しょうじょうこうじ (ゆぎょうじ)

本山

清浄光寺(遊行寺) <神奈川県藤沢市>

ほんぞん

あみだにょらい

本尊

「阿弥陀如来」を本尊に仰ぎます。

おとなえすることば

なむあみだぶつ

称名

南 無 阿 弥 陀 仏

おしえ  
教義

「南無阿弥陀仏」とお唱えする、只今のお念仏が一番大事なことです。家業に努め、励み、睦み合って只今の一瞬が充たされるなら、人の世は正しく生かされて、明るさを増し、皆倶に健やかに長寿を保つことになります。浄土への道は、そこに開かれるとする教えです。

おきょう  
経典

無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経、六時礼讃等の経典を読誦します。

*踊念仏・遊行・賦算は時宗独特の教義です。
 
 

普照院へのお問い合わせ等に際しては、宗旨・宗派等は問いません。
まずはお気軽にご連絡下さい。

 
お寺(普照院)の歴史

当寺は慈光山普照院(じこうざんふしょういん)と申します。
天平18年(746年)行基菩薩によって開基されました薬仙寺(神戸市兵庫区)境内に於いて、国阿上人が貞治4年(1365年:室町時代初期)に普照院を建立されました。

その後は、永らく薬仙寺内塔頭(たっちゅう)寺院として、兵庫史と共に歩みます(約500年)。

旧本堂写真1
(昭和5年ごろの普照院本堂:右後方白い建物)

そして近代に入った明治26年(1893年)、時宗慈光寺(現・兵庫区神明町付近)と合併し、いよいよ教理拡大しようという最中、昭和20年(1945年)神戸大空襲にて被災、薬仙寺と共に本堂・仏像等を焼失しました。

(震災から3年後に撮影)

戦後、當山23世義天足下住職の尽力により、昭和34年(1954年)、他の神戸市内の時宗戦災寺院の中でも一早く移転(神戸市長田区)復興が成されました。

しかしその寺盛発展の最中、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災により、本堂・庫裏が全壊の被害を受けます。

檀信徒のほぼ全世帯が被害を受けた中、寺院復興の時を逸し、震災後数年間は無住の状態が続きます。


しかし、この二度にわたる苦難を檀信徒一同の篤い信仰により乗り越え、建立以来より当寺がございました元祖地(神戸市兵庫区:薬仙寺境内)に、震災から15年後の平成22年(2010年)に移転、新本堂を建立し現在に至ります。



本尊は阿弥陀如来仏にて、脇仏として一遍上人と開山上人(当寺院を建立された僧侶)である国阿上人をお祀りしております。
併せて山羽学竜足下筆・寺宝『釈迦三尊図』、また地元で信仰集める『樽地蔵尊』も本堂内にお祀りさせていただいております。

なお平成27年(2015年)は、当寺院が兵庫の地に建立されてから650年の節目の年になりました。

*当寺院の境内墓地は、戦後の神戸市の港湾整備計画により強制移転(昭和26年:1951年)させられ、現在の神戸市営垂水墓園内(神戸市垂水区)にございます。

 
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